どうも、Ka‘s(かーず)@kazumatttkです。
気がつけば30歳まで3年もなくなってしまったわけですが、なんだろう・・・ちっとも大人になっている実感がない。
成人式を終えた頃は、「30歳になる頃には立派な社会人として生活しているのだろう。」って思っていました。実際は、曲がりくねった人生を歩んでるように感じています。
どこで、いつどこで間違えたのかな?そんなことを考えている暇はないのは理解しているけど、考えずにはいられない。自分がアホだったとあまり思いたくないのだけど、20歳の頃からちゃんと考えてから行動するべきだった思ってる。ちょっと振り返ってみようと思った。
大学生活の初めからフラれた
私は、超有名大学ではなく、ごくごく平凡な大学に在籍していた。学科は、建築学科だ。
建築にすごく興味を持っていたわけでもないのだが、父親が建築に携わっている影響で「自分も同じ」とその道に進んだんだ。これがすべての間違えであったと思っている。
大学に入り、最初のころは約2時間ほどかけて実家から通学をしていた。友人もすぐにできて、華やかな学生生活を送れるものだと思っていた。しかし、友人は1ヶ月ほどで授業すら出席しなくなった。
そのときの友人を「友人A」としよう。
私は、「出席日数がギリギリだから授業にでたほうがいいんじゃない?」と友人Aにショートメールを送った。しかし、返信がなかったので1度だけ電話をした。もちろん出る気配はなかった。
2週間経ったある日、友人Aからメールが入った。内容はこうだった。
「なんでお前が私の心配すんの?彼氏面するとかキモイんだけど。」
親切心で行った行為だが、友人Aからしてみれば虫の居所が悪かったのであろう。だけど、当時の私からしてみれば衝撃的で自分が悪いものだと錯覚してしまった。これまで、似たような経験をしたことがなかったといえばソレまでですが、大学には個性的な人物が多かった印象がある。高校生活とは比べ物にならないほどの新世界を味わえるのが大学生活だとこの時に感じた。
このとき逆鱗に触れてしまった原因がいまだにわからない。解明できる者はいるのだろうか?どんな推理小説よりも難しいと思っている。
念のため補足すると、私は友人Aに好意を持っていたわけでもありません。ただ友人として他愛のない会話をしていただけでした。それも入学してから1ヶ月も満たない時間をだ。
友人と呼んでいいのかすら微妙なところだが、一応友人だと思っている。
この状況を一言で言えば、大学生活の初っ端からフラれてしまったわけだ。
この友人Aは、大阪出身で口調は強気の大阪弁で男勝りなタイプだった。容姿は、俗にいう「バンギャ?」なるものだった。まったくもってタイプでもなかったのだが、フラれてしまった事実をどのように捻じ曲げようか時折考えてしまう。記憶の片隅にこびり付いている不の記憶というのは非常に厄介だと思った。
この時、どう対応するのが一番ベストだったのだろうか?
私は、あまり考えずに行動が先行してしまうタイプです。
よく考えずに行ったことが後から後悔してしまうことも多かった。思い返すだけでも顔が赤くなってしまうような出来事やヒヤっとしてしまう出来事などいくらでもある。大人になる(年をとる)につれて、すこしは考えてから行動するようになった。そこで、この出来事をどう対応するのが一番良かったのか自分なりに考えてみる。
自分が行ったことを明確にしてみる
1.メールで注意喚起をした
2.返信がないから電話をした
補足として、友人Aとは学校内で会うだけで普段はメールも電話も一切したことがなかった。
たらればで考えてみる
もし、メールで注意喚起しなければ
不の記憶を生み出すことはなかったと思う。そして、友人Aとは永遠に会うこともなければ会話すらしなかったと思う。これは、これで正解なのかと思ったが、人生経験として考えるのであれば微妙な気もする。
おそらく確信をついたメールの内容に問題があったのではないかと思う。
直球すぎる内容に友人Aは直視できなほどの現実を見せられ、真面目になれよ?って説教されたのだと感じたはずだ。そう考えたらすこしは友人Aの気持ちが理解できると思った。
サボりがちになってしまった状況でいきなりあんなメールを送りつけられたら。と考えたらと思うと自分だけの世界を壊されたようで怒る気持ちがわかる。
しかもだ、メールを送信してから数日後に電話までかけている。もはや攻め立てられようとする電話に誰がでるだろう。とれだけ浅はかな行いをしてしまったのか明白だった。
どう対応するのがベストだったか
お互いにとってベストアンサーはなんだったのか。結論は2つある。
メールするタイミングを早めるべきだったこと。そして、直接的には内容を伝えないこと。この2つが一番ベストではないかと思う。
いきなり現実を見せるのではなく、上手く学校にくるように誘導すればよかった。登校拒否を無理矢理引っ張り出そうとしても無理な話で、早い段階から歩みよれば最悪の結果は生まれなかったかもしれない。
後日談
当時の出来事を電話で聞いてみた。
友人Aは「あの時は、精神的にいろいろ参ってて申し訳ないことしたと思ってる」と回答していただきました。友人Aによると、当時付き合っていた人物と破局したことが原因と興味本位でやっていたネトゲのおかげで立派な引きこもりになったと言う。1人暮らしという環境もあるのだろうが、考え方って人それぞれだなと思った。
友人Aは、引きこもり生活に移行した後は流れで退学までしてしまっている。大学生活で最初に知人になった人物だっただけにそれなりのショックを受けた。
退学後、専門学校に転学し、現在では社畜生活をしているみたいだ。
当時の対応はなにがベストだったのか聞いた結果がこちらでした。
「将来の自分が見える水晶玉で現実を見せてくれてたら頑張っていた。」と語っていました。なんとも個性的な回答だけれど、いまの行いで将来の姿がわかるモノがあったら怠惰な生活はしない。10年後の姿が生き生きしている姿は誰しもが見たいものだと思った。そのためには勤勉であることが必要条件の1つだと感じると同時に10年後によかったと思えるように生活していきたいと感じた。
最後に一言、電話番号変えてなかったことに感謝(笑)